新聞記事を読んで、「終活」親の自主性に任せる。認め合い、ほどよい距離感。

終活、という言語が世間一般でなんの躊躇いもなく使われ始めて、まだ間もない。終活は当然自分の命の終りを想定して、残された家族にあらゆる面で迷惑を掛けずに済むように自主的に整理をすることだと思っていた。いや、今もその考え方が変わった訳では無い。自分(親)の自主性に任せる、のは当然ことだと思う。自分の家族や、親戚縁者んどから終活を促されればその気も薄れてしまう。新聞記事の内容は、73歳の女性の例を取り上げていた。長女から「そろそろ終活をしたら?」「家を片付けてすっきり住もう」などあれこれと言われる、との事です。73歳、女性の平均寿命からすれば、まだ15年ほどは時間があるかも知れない。ただ、認知症を含め健康寿命を考えれば、自力で身の回りを片付けられるのも、そうですね、5年程度と思った方が良いかもしれません。長女さんの急かせる気持ちも分かります。自分自身、3年前に89歳で他界をした父を最後に肉親は妹だけになってしまった。家を継ぐ筈であった長兄は父よりも5年も前に死んでしまった。妹は自分の生活基盤があるので、結局次男坊の自分が家を継いだ。未だに、兄の遺品と、父の遺品が空き家の実家には山ほど残っている。自分に遺品の整理、処分の権限はあるにしても、思うように捨てきれないでいる。せめて父親が生きているうちに不要品の処分をしていてくれたら、と思う。自分としては父をつかまえて、元気なうちに終活をしてくれ!とは言えなかった。だが、自分と同居をしている、長男夫婦には同じ嫌な思いをさせたくは無い。だから、62歳ではあるが、終活を始めている。